jun的見聞録

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セルビア版コンギョ?『旗の統一者』についてユーゴスラビアの歴史を学びながら紹介する

こんにちは。外出自粛が長引いて、ストレスが溜まってる方も、結構いらっしゃるのではないでしょうか。

さて、少し前に『攻撃戦だ(通称:コンギョ)』が一部界隈で流行りました。あれ、正式な日本語名は『攻撃の勢いで』(参考:朝鮮の声放送より)なのですが、意外とこの正式名称を知ってる方って多くはない気がします。
さて、この曲は、汚い天才ピアニストことゆゆうたも歌ってたりしてることでも有名です。

そこで情報は限りなく少ないのですが、この曲と関連性が深い(?)セルビア版コンギョとも言われる『旗の統一者』について勝手に考察したいと思います。

その前に、軽く『攻撃戦だ』をおさらい。
金正日政権末期の2010年、朝鮮労働党(北における指導政党)の機関紙「労働新聞」にて、曲名と歌詞が掲載されました。歌詞は例の如く攻撃を強調する軍歌調…ですが、建前上は経済スローガン(総攻撃戦)といことで軍歌というわけではないみたい。(あの歌詞はどうしても軍歌にしか見えませんが、MV(?)には工場なども映ってるし…ということでしょうか)この曲が人気を博したのは、日本のガンダム、ヒーローもののような軽快な曲調に、軍歌調の歌詞を載せ、ノリのいい雰囲気に作り上げたことでしょう。

そしてこの曲ととてもそっくりな『旗の統一者』という歌があります。

https://m.youtube.com/watch?v=c3d4VdoPU-g

そもそも、旧ユーゴスラビア民族主義者によって作られたパロディだとの指摘が強いですが(実際自分もそれを信じてます)、面白い題材なのでバカ真面目に考えてみたいと思います。

今回はコソボ虐待おじさんことミロシェヴィッチ大統領の在任期間と仮定して、90年代末期に作られたという説を基に考察してみます。
が、上でリンクを貼った動画の投稿者が大抵の考察をして下さってるのですよね。だから自分がやっても蛇足でしかないのですが、そんなことは気にしないでやっていきましょう。

あまり、ユーゴスラビアの歴史というのは知られていないので、長いですがまとめてみました。
そもそもユーゴスラビアは、オーストリア=ハンガリー帝国の解体や、汎スラブ主義から、1918年に南スラブ地域に「セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人の王国」として建国されます。しかし、南スラブ地域を統合したはいいものの、文化の違い(『7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家』というフレーズで有名ですよね)や、セルビア人が中央集権化を進めようとして、連邦制を検討していたクロアティアと対立したことにより、国家統合には国王の独裁政権が必要と考えます。そこで、1929年ユーゴスラビア王国(南スラブ人の国)を名乗るようになりました。

W.W.2では約10日間ナチスに占領され、枢軸陣営による傀儡政権(セルビア救国政府など)を建てられます。しかしチトー率いる共産パルチザンが、国内でゲリラ戦を展開します。ナチス降伏後、パルチザンユーゴスラビア全土の支配を掌握します。ユーゴスラビア共産主義国家(ユーゴスラビア連邦民共和国)として、再スタートします。この国は、国家批判は許されるも、民族差別は許されないという変わった国家でした。(チトーは兄弟愛と統一というスローガンを目指していた)

しかし、建国数年後にソ連と仲が悪くなります。というのも、W.W.2末期に、スターリンは東欧諸国に親ソ的政権を据える決意をしています。(例えば、1944年にチャーチルがモスクワを訪れた際、チャーチルルーマニアソ連が90%、ギリシャソ連50%、イギリス50%統治という提案をしたところ、スターリンは了承していました。(その後、チャーチルは発言を撤回するもソ連はこの意見を主張))実際、ポーランドハンガリーなどのソ連が解放した国は、ソ連の衛星国として機能していました。というわけで、ユーゴスラビアソ連支配下に置こうとします。ところが、ポーランドなどの衛星国とは違い、ユーゴスラビアソ連の手を借りずに自ら国土を枢軸国から解放していたことで、ソ連の力を借りる必要がなかったわけです。その結果、ソ連支配下に入ることを拒み(1948 コミンフォルムから追放)、独自のチトー主義を唱えました。(ソ連などでは弾圧)

それからカリスマ・チトーのもと、ユーゴスラビアは、自主管理社会主義や市場社会主義といった、独自の経済政策(西側への出稼ぎも推奨)、更に非同盟中立国家を、インドなどと共に主導し、第三世界の集結をはかるなどの、独自政策を行いました。

しかし、チトーの死後、80年代から東欧諸国の民主化の煽りを受け、ユーゴスラビアでは民族運動が徐々に盛り上がり始めます。その結果、90年代、4つの共和国が次々と連邦を離脱。残されたセルビアモンテネグロは1992年に、ユーゴスラビア連邦共和国を結成します。しかし2003年にセルビア・モンテネグロの国家連合として変更、2006年にはそれも解体しセルビアモンテネグロはそれぞれ独立国家として歩み出し、今に至ります。

ここからが本題。(クソ長いなおい)
ロウチェナ山という歌詞が出てきます。『攻撃戦だ』では、白頭山正日峰といった北朝鮮では聖なる地とされている地名が出てきます。これは、セルビアでは縁起の良い地名として捉えられているわけでしょう。
青白赤を讃える歌詞がありますが、これはスラブ民族を象徴する旗としてこの三色旗を用いています。ちなみに現在のモンテネグロ国旗では三色旗は用いられていません。
この歌において、青は未亡人の涙の海赤は若人の血とされていますが、白の母乳とはどういうことでしょうか。正教会において聖母は生神女と呼称されることが多いらしいのですが(ちなみに童貞女なんて呼び方もあるようです、矛盾)、やはりこれは神の御加護という程度の認識でよさそうです。ついでに、白というのは、歌詞にあるように、この国の首都ベオグラードも指します。

更に「お前は誰にも渡さない」という歌詞にもあるように、この頃のセルビアは意地でもモンテネグロを離したくないということがひしひしと伝わってきます。なお、セルビア人とモンテネグロ人に違いは殆どないとされているからか、「セルビア民族を統一」というフレーズが出てきています。

くらいでしょうか。考察クソ軽い。(だって資料なさ過ぎるんだもん…)ユーゴスラビア史も勉強しなきゃ(使命感)
歌詞を見比べると『攻撃戦だ』と『旗の統一者』にあまり共通性はなく、旗の統一者は民族統一を煽る内容となっています。(ちなみに北朝鮮で南北統一を願う内容の歌としては『統一列車は走る』あたりでしょうか、この歌は北が韓国を貧困国として見下しています)
最後に、この歌についての資料を下さい。
ご高覧ありがとうございました。